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[経営者たち] 吉村陸郎 
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宮崎吉村薬品(株)二代目社長


【社長在任期間】
1965年(昭和40年)~1992年(平成4年) 宮崎吉村薬品(株)




吉村陸郎(よしむらりくろう) 初代益次の六男。特攻隊入隊後、鹿児島に配属され、梁井益蔵夫妻と親交を深めた。その後長崎に転属し終戦を迎える。復員後、大分で農業に従事するが、吉村益次商店の延岡進出と同時に延岡支店に着任。1958年の宮崎吉村薬品設立時には地元卸の猛反発を受けるが、実質的なリーダーとして信用を積み重ね、地元企業としての地位を固める。1965年に社長就任、ダイコー設立まで、宮崎吉村を牽引した。


吉村陸郎
1927年(昭和2年)3月15日誕生
2017年(平成29年)7月23日死去


生涯のあらまし

【経歴・お人柄等】
  • 1947年(昭和22年)3月 (合)吉村益次商店入社
  • 1958年(昭和33年)8月 宮崎吉村薬品(株)設立 専務取締役就任
  • 1965年(昭和40年)6月    〃    社長就任
  • 1992年(平成4年)4月 (株)ダイコー 副会長就任
  • 1994年(平成6年)4月   〃   相談役就任
  • 1998年(平成10年)4月 (株)アステム 顧問就任
  • 2002年(平成14年)3月 退任

吉村陸郎は昭和2年(1927年)、初代吉村益次の六男として大分市で生まれた。
太平洋戦争では志願して特攻隊に入隊、鹿児島に配属され、休暇のときは初代益次の親友 梁井益蔵夫妻から食事に招かれるなど、交流を深めた。その後転属となった長崎での演習中原爆が投下、終戦を迎え復員した。大分に戻った陸郎は、明治村で農園を営む兄開治を手伝い、畑を耕していた。

1953年(昭和28年)、延岡市柳沢町に開設した出張所の開設メンバーとして辞令が出され、吉村富士男、佐藤州一管理薬剤師と共に延岡に着任し、注文品を大風呂敷で包み、下駄履き、ジャンバー姿で日向、都農、高鍋、宮崎、都城まで汽車やバスで行き、各駅から自転車に積み替えお得意先回りをした。
1958年(昭和30年)、神都薬品の卸部門を吸収継承する形で宮崎吉村薬品が発足、専務に就任した陸郎は、地元卸の猛烈なバッシングの中、現地のトップとして、持ち前の度量と誠実さで社員をまとめ、吉村陸郎ファンの得意先を着実に増やして経営を軌道に乗せた。

1961年(昭和36年)、江平町の新社屋に移転。その後都城・日南・小林に相次いで出張所を開設。1965年(昭和40年)社長に就任、創業10周年を迎えた1968年(昭和43年)には宮崎県のトップシェアを獲得した。
野坂直、篠原修等、他県から出向した優秀な幹部との協力で急成長を遂げた宮吉は、この頃から地元出身の優秀な人材が入社し始め、認知度が益々高まり、宮崎の企業としての地位を不動のものとした。

1992年(平成4年)、ダイコー発足とともに副会長に就任。一線から退いた後も、お得意先と社員からの絶大な信頼は衰えず、宮崎の精神的支柱として今も慕われ、社員たちを温かく見守っている。




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