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[経営者たち] 吉松義巳 
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ヨシマツ薬品(株)の二代目社長


【社長在任期間】
1942年(昭和17年)~1969年(昭和44年) ヨシマツ薬品(株)((株)吉松一心堂、吉松一心堂)



吉松義巳(よしまつよしみ)吉松一心堂の二代目社長。1907年、吉松藤三郎の長男として誕生。明治薬学専門学校(現在の明治薬科大学)を卒業後、直ちに家業に就いた。藤三郎の経営の才、外交、商売の方法を学び、母親ミヨの身を粉にして頑張る姿を見て実力をつけ、1933年の卸部開設の際、小売部を任された。品不足の戦中・戦後にあっても、分け隔てなく平等に、掛け値なく正直をモットーに販売し、店の信用を守り高めた。

吉松義巳
1907年(明治40年)1月19日誕生
1998年(平成10年)11月2日死去


生涯のあらまし

【経歴】

  • 1907年(明治40年) 119日 藤三郎の長男として熊本市高麗門裏町で誕生
  • 1929年(昭和4年) 明治薬学専門学校(現在の明治薬科大学)を卒業後直ちに家業に就く
  • 1933年(昭和8年) 3月 卸部を開設時に小売部を任された
  • 1942年(昭和17年) 69日 創業者藤三郎が急逝したため長男である義巳家業を継いだ
  • 1942年(昭和17年) 企業整備令公布により医薬品卸売商は熊本県医薬品卸売商業組合を組織したが、翌年6月には組合を廃止し熊本県医薬品配給(株)に転化した。義巳は同社の取締役兼企画部長として勤務した。
  • 1947年(昭和22年) 9月 終戦後も義巳は統制配給会社に勤務していたが、統制配給会社の解散に伴い、家業に戻った。
  • 1949年(昭和24年) 9月 「株式会社吉松一心堂」として法人を設立

【主な公職】

  • 1949年(昭和24年)11月 熊本県薬政会理事に就任
  • 1952年(昭和27年)7月 熊本県薬剤師会理事に就任
  • 1964年(昭和39年) (株)吉松一心堂をヨシマツ薬品(株)に社名変更し、細工町4目に新築本社社屋を建設し移転した。
  • 1969年(昭和44年) 社長義巳が会長に、専務幹一が社長に就任
  • 1977年(昭和52年) 6月 取締役相談役就任
  • 1980年(昭和55年) 4月 常勤監査役就任
  • 1998年(平成10年) 11月2日 91歳で死去


【お人柄等】

  • 誠実で正直な人柄。済々黌時代から始めた剣道は人間形成に大いに役立ったという。段位は二段。
  • 藤三郎の経営の才、外交、商売の方法を学び、母親ミヨの身を粉にして頑張る姿を見て入店後は一所懸命働いた。
  • 戦時中は軍需優先の統制経済となり、品物も不足がちであったが、分け隔てなく平等に、掛け値なく正直をモットーに販売したという。
  • 若い頃から園芸、音楽に趣味をもつ一方、壮年時まではかなりの酒豪でもあった。




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