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[経営者たち] 吉松幹一 
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ヨシマツ薬品(株)三代目社長


【社長在任期間】
1969年(昭和44年)~1980年(昭和55年) ヨシマツ薬品(株)





吉松幹一
1914年(大正3年)3月14日誕生
2008年(平成20年)4月9日死去


生涯のあらまし

【経歴】

  • 1914年(大正3年) 314日 藤三郎の次男として熊本市にて誕生
  • 1935年(昭和10年) 3月 岐阜薬専を卒業と同時に家業に就いた。幹一は細工 町1丁目の小売部門の責任に当り、兄義巳が細工町4丁目の卸部門の責任に当るという体制に発展していった。
  • 1969年(昭和44年) 9月 義巳が会長になり、後任として幹一が社長に就任

【主な公職】

  • 1976年(昭和51年) 熊本県医薬品卸業協会理事長、九州卸連理事に就任、熊本県薬事審議会委員を委嘱された。
  • 熊本県薬剤師会理事
  • 熊本県麻薬協会会長
  • 1977年(昭和52年) 6月 55周年記念として八王寺町に新本社社屋と配送センターを建設し、その竣工式典を新社屋で催し、併せて医療機器フェスティバルを開催した。
  • 1980年(昭和55年) 4月 幹一が会長に、後任として和夫副社長が社長に就任
  • 2008年(平成20年) 4月9日 94歳で死去


【受章歴】

  • 1983年(昭和58年) 11月薬事功労者厚生大臣表彰


【お人柄等】

  • 戦時下に入り、卸部門は閉鎖したが、戦中戦後も幹一は薬剤師として細工町1丁目の小売部を夫婦で担った。品物が少なく品物が入れば右から左に捌ける時代であったが、掲げた看板の通り「時計は正確、店は正直」と定価販売、良心的な商いを続けた。
  • 利かぬ気の豪放型で交際の幅も広く、斗酒尚辞せぬ酒豪であったという。
  • 社長を和夫に移譲した際、幹一が和夫へ語った言葉、「11年もやったんだからもうよかろう。今度はおまえがやれ。」にその人柄がうかがえる。




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