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[薬業史] 田代売薬 
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肥前国基肄郡田代領(現在の佐賀県鳥栖市)を拠点として発達した「配置売薬」の売薬業。


 九州薬業のルーツ「田代」

 田代(鳥栖市東部)は、長崎街道7番目の宿場町で旅籠屋が軒を連ねていた。また、この地と基山を加えた基肄養父(きやぶ)地域は、朝鮮半島に近い対馬藩の飛地で、越中富山、近江、大和と並ぶ四大売薬地として知られていた。その後西洋薬の製剤技術を進化させ、多くの製薬会社を生み、この地域は九州における薬業の一大集積地としての地位を築いていく。
 フォレストグループの創業者のうち、初代大石忠次郎は久留米、初代吉村益次は田主丸の出身。神代良太郎と溝上金一は佐賀の出身。梁井益蔵と吉松藤三郎は基肄養父地域の出身でこの6人の出身地は、田代からほぼ30km圏内にある。
 初代藤村萬作も、西洋医学発祥の地で、長崎街道によって田代とつながる長崎で薬業を志した。田代近辺で育った創業者たちは、感染症によって多くの命が失われた時代、西洋薬によって救える命が増えることを知り、大八車の車輪をぬかるみにとられながら峠を越え、薬を届け続けた。
医薬品流通という職業に対する責任感は理念となり、次の世代へと受け継がれていく。

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田代売薬の行李
田代売薬の行李(中冨記念くすり博物館蔵)



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