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[各社の歴史] (株)サン・ダイコー 
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設立:ヨシムラ産業(株) 1972年(昭和47年)大分



歴史の概要

前身はヨシムラ産業(株)。営業エリアの拡大と事業の多角化を推進。

吉村薬品は、1956年(昭和31年)農薬・醸造薬品、工業薬品・動物薬品の専門取扱い部門として特殊薬品部を新設した。その後特殊品事業部として独立させ、農薬や動物薬、食品原料などを取り扱っていた。1972年(昭和47年)、吉村薬品と宮崎吉村薬品の特殊品事業部が独立し、ヨシムラ産業(株)設立。二代吉村益次が社長を兼任した。

1974年(昭和49年)に(株)サン・ダイコーに改称し、ヨシマツ薬品の特殊品部を譲り受け、ヤナイ産業と合併した。1983年(昭和58年)、サン・ダイコー設立の立役者である森永太郎が社長に就任し、営業エリアの拡大と事業の多角化を積極的に推進した。同年、コーヤクより動物用医薬品を、1991年(平成3年)、食品原材料・工業薬品等の営業権を譲受した。

2000年(平成12年)(株)九薬・(株)平田天命堂(現(株)翔薬)、2004年(平成16年)(株)アスティス動薬部門の営業権を譲り受け、九州・四国ネットワーク体制が完成した。

2012年(平成24年)、森久保薬品(株)(神奈川)と共同出資により(株)NPCを設立。2014年(平成26年)、小田島商事(株)(岩手県)が(株)NPCに参画し、全国ネットワーク化を推進している。

サン・ダイコー本社屋
https://forestpedia.jp/data/file/photo/1036916605_99f96dd1_E382B5E383B3E383BBE38380E382A4E382B3E383BCE69CACE7A4BEE5B18B01.JPG



サンダイコーロゴ


詳細

◆ヨシムラ産業の誕生

昭和30年代の高度成長期、医薬品メーカーも動物用医薬品、食品添加物、化学工業薬品、農薬といった特殊薬品の分野に各社が乗り出していた。吉村薬品は、従来の特殊薬品部を拡充し、特殊事業部として独立、農薬や動物薬、食品原料などを取り扱っていた。1972年(昭和47年)4月21日、吉村薬品と宮崎吉村薬品の特殊品事業部が独立、ヨシムラ産業(株)が発足し、初代社長には二代 吉村益次が就任した。

創業当時は、農薬の売上が大きなウエイトを占めていた。農薬部門は、大分・宮崎を中心に、春から秋は農協や薬局、肥料・種苗販売店を対象に農薬を販売。冬場は酒造業者を中心に酒造薬品の販売を行っていた。当時は農薬を使用して殺虫、殺菌し、単価面積あたりの収穫量をあげることが農家の命題となっており、農薬の売上も順調に推移を続けた。

◆(株)サン・ダイコーに改称

1974年( 昭和49年)3月、ヨシムラ産業は株式会社サン・ダイコーに社名を変更。その後熊本のヨシマツ薬品特品部を譲り受け、ヤナイ薬品から分社したヤナイ産業と合併した。
社名は、ダイコーから食に関わる企業として独立したため、食を育む太陽を意味するSUNと、ダイコーの息子SON、そして産業の「産」にちなんで「サン・ダイコー」とした。

◆経営理念と営業方針「アドバイザー サン・ダイコー」

当時のサン・ダイコーの経営理念は「食を通じて社会に貢献する」という言葉で表現されており、これは、人が生きていくために絶対不可欠な「食」を通して、社会に貢献するという社会使命がこめられていた。
動物薬、農薬をはじめ、加工食品製造に必要な材料・包装資材まで取り扱っており、食糧の生産から、安全に消費者にお届けするまでの全プロセスがサン・ダイコーの事業領域であった。大きな社会責任を持つ事業であり、それは社員の仕事に対する誇りにもつながっていった。

また、営業方針は『アドバイザー サン・ダイコー』いうキャッチフレーズに集約されていると言っていいだろう。どうすれば美味しくて安全な食品が生産できるか、どうすれば生産性をあげることができるか、どうすれば消費者に買っていただけるか。単に商品を売るという発想ではなく、お得意さまと一緒に考え、ビジネスパートナーとして貢献するというコンセプトであった。生産から出荷までの全期間を想定して、お客さまごと、商品ごとに組み立てたサービスプログラムを提案する。そのことを通してお得意様に貢献することこそが『アドバイザー サン・ダイコー』であり、現在の提案型営業の根底に受け継がれているサン・ダイコー精神である。

◆苦戦の中から、売上高100億、200億を達成

昭和57年度(第11期)にはついに念願の売上高100億を達成した。1983年(昭和58年)6月にサン・ダイコー設立の立役者である森永太郎が社長に就任。『アドバイザー サン・ダイコー』を継続し、自販力を高めるとともに、北部九州への本進出を狙った「N-プラン」を推進した。その結果、1985年(昭和60年)度には、全国一の動物薬販売実績を達成することになる。

1991年(平成3年)11月、コーヤクの開発部(食品原材料及び工業薬品等の卸販売部門)を譲り受け、サン・ダイコー北九州支店とした。コーヤクの工業薬品部門は、北九州工業地帯の半導体産業、北九州~山口の工業原料製造業、福岡東部~佐賀の製薬工業といった大きな市場を抱えており、このことでサン・ダイコーの工業薬品部門は大幅に市場規模を拡大していった。
コーヤクの実績が加わった平成3年度(第20期)は前年比8%増の売上高202億を達成、ついに200億の大台をも突破することとなった。

◆工業薬品へシフト。ケミカル事業の礎が築かれる

サン・ダイコーのケミカル部門の源流は、創立当時の防疫部門にあたる。防疫部門は、官公庁へ人体用ワクチンや殺虫剤の販売を行っていた。しかし、日本脳炎やBCGなど集団接種から個人接種になり、官公庁向けの人体用ワクチンの売上が減少。環境整備が進んだことで自治体の殺虫剤需要が減り、売上も減少していった。
そんな中、行政の水処理分野へ進出したことが転機となり、取扱商品が人体用ワクチンや殺虫剤といった医薬品メーカーの商品から、工業薬品へと大きく変化した。

コーヤク開発部との合体後、源流である医薬の価値を見直し、同じ工業薬品を使用する分野でも、医薬品・化粧品製造といった民間企業との取引に大きく舵を切っていった。これらの分野を総称して「環境」事業と呼んでいた。
また、大分から始まった半導体産業との取引は“シリコンアイランド”と呼ばれる九州の半導体産業の隆盛とともに他県へと広がっていき、「電子」事業という1部門となった。
その後、「環境」と「電子」、工業薬品を取り扱う2部門を一つの事業部とし、1998年(平成10年)には「ケミカル」事業部という呼称が使われるようになっていた。

◆全九州ネットワークが確立

水産市場で高いシェアを持っていたサン・ダイコーはその優位性を確固たるものとすべく、2000年(平成12年)には(株)九薬と(株)平田天命堂の動物部門を譲り受け、北部九州を中心に小動物市場と水産市場の強化を図り、悲願であった全九州ネットワークが完成した。

◆ISO取得、経営基盤を整備

社会的に高まる環境意識の中、地域社会から信頼される企業を目指し、2002年(平成14年)度からISO 14001取得の準備を開始。
薬事法、飼育安全法、農業取締法、食品衛生法、労働安全衛生法、廃棄処理法、消防法といった法会の遵守を徹底するとともに、在庫管理の見直しによる商品廃棄の削減や、電気使用量・燃料使用量の削減に取り組んだ。2年後の2004年(平成16年)に本社と大分支店がISO 14001を取得した。
更にCSR(企業に社会的責任)の重要性を再認識し、2004年(平成16年)業務全般の遵法と社会貢献を目指し、各業務担当者をはじめ薬剤師、獣医師といった専門知識を有するメンバーを中心にコンプライアンス委員会を設置した。

2006年(平成18年)には新基幹システムが稼動、続いてCA福岡物流センター、CAコンタクトセンターを相次いで稼動させ、サン・ダイコーの基盤をさらに整えていった。

また2013年(平成25年)に更なる物流の効率化と近代化への進化を目指して、鳥栖物流センターを稼働。調達の一元化はもとより、商品管理機能のグレードアップによる物流品質の向上や、品揃えの拡充、営業部門との組織間連携で物流から配送までの高品質化を推進した。2010年宮崎口蹄疫禍の教訓をもとに、防疫体制も強化した。

◆事業エリア拡大とアライアンス

2000年(平成12年)に水産部門が宇和島に進出後、水産事業のさらなる拡大を目指して畜産・CAの四国進出を計画。(株)アスティスの動薬部門を譲り受け、2004年(平成16年)に香川県に四国支店を開設し、他2県に営業所を開設して四国全県体制を確立した。

2008年(平成20年)協和化学(株)(宮崎県都城市)を完全子会社化。2009年(平成21年)6月には関東を基盤とした動物用医薬品販売業、森久保薬品(株)(神奈川県厚木市)と業務提携した。業界大手同士の広域提携は、ユーザーサービスの更なる進化・充実及び将来に向けた経営基盤強化を目的としたものだった。のちの2012年(平成24年)に、動物薬・機材の共同販促、動物用医療に関する新商品の企画・開発、人材育成手法の研究と人材交流、業務システムの研究・開発といった諸施策の推進を目的として(株)NPC(Next Paradaigm creator)を設立した。2014年(平成26年)には、新たに小田島商事(株)(岩手県花巻市)が資本参加した。

事業再編と提携強化の動きとしては、2010年(平成22年)3月に長らくケミカル事業の一翼を担ってきた電子事業から撤退。2012年(平成24年)11月に(株)ニチメン工業(宮崎県都城市)を子会社化、同年12月には(株)つえエーピー(大分県日田市)を関連会社化し、のちの2015年(平成27年)1月に完全子会社化している。こういった動きと平行して沖縄県の(株)オキチク商事と2014年(平成26年)6月に業務提携を結び、翌年3月にはこの関係を資本提携に発展させている。



沿革

1972年 昭和47年 04月 吉村薬品の特殊品事業部と宮崎吉村薬品の特殊品事業部を医薬品部より分離独立し、「ヨシムラ産業株式会社」を設立
1972年 昭和47年 二代 吉村益次 社長就任
1972年 昭和47年 本社・大分営業所(大分市大道町)、宮崎事業所(宮崎市江平町)、中津駐在所か、日田駐在所、都城駐在所を開設
1973年 昭和48年 04月 ヤナイ薬品の特殊品部を医薬品部より分離独立し、ヤナイ産業株式会社を設立
1974年 昭和49年 10月 ヤナイ産業を吸収合併し、サン・ダイコー鹿児島事業所(鹿児島市吉野町)を開設、資本金3,000万円に増資
1974年 昭和49年 03月 ヨシムラ産業を「株式会社サン・ダイコー」に社名変更
1974年 昭和49年 04月 ヨシマツ薬品の特殊品部を譲受し、サン・ダイコー熊本事業所(熊本市細工町)を開設、資本金2,750万円に増資
1979年 昭和54年 04月 延岡出張所、福岡出張所を開設
1981年 昭和56年 04月 鹿屋出張所、川内出張所を開設
1982年 昭和57年 06月 創立10周年記念社員大会開催
1983年 昭和58年 04月 コーヤクより動物用医薬品の卸販売に関する営業権を譲り受け
1983年 昭和58年 森永太郎 社長就任
1986年 昭和61年 03月 昭和60年度、全国一の動物薬販売実績を達成
1991年 平成03年 11月 コーヤク開発部と合体、食品原材料及び工業薬品等の卸販売に関する営業権を譲受
1992年 平成04年 07月 創立20周年記念社員大会開催
1995年 平成07年 05月 日動薬品の営業権を譲受
1997年 平成09年 03月 貿易開発部を北大貿易株式会社に移管
1998年 平成10年 10月 清武物流センターを開設
1999年 平成11年 野田紀 社長就任
2000年 平成12年 10月 (株)九薬・(株)平田天命堂(現(株)翔薬)の動薬部門の営業権を譲受し、全九州ネットワークが完成
2001年 平成13年 07月 一般農薬及び農業資材部門をグリーンテック九薬株式会社に営業権譲渡
2002年 平成14年 06月 創立30周年記念社員大会(福岡)開催
2003年 平成15年 05月 樹村幸治 社長就任
2004年 平成16年 05月 株式会社アスティス動薬部門の営業権を譲受し、四国支店(香川県善通寺市)を開設、徳島営業所、高知営業所、松山営業所を開設
2004年 平成16年 04月 本社・大分支店がISO14001認証取得 大阪営業所を開設
2005年 平成17年 03月 グリーンビジネス(ゴルフ場農薬)部門を東洋グリーン株式会社に営業権譲渡
2006年 平成18年 03月 ES(土壌用肥料)部門を廃止し農薬事業から撤退
2006年 平成18年 05月 庄信廣 社長就任
2007年 平成19年 06月 長崎営業所(諫早市多良見町)を開設
2008年 平成20年 10月 協和化学を完全子会社化
2009年 平成21年 04月 広島営業所を開設
2009年 平成21年 05月 東京情報室を開設
2010年 平成22年 03月 四国支店を香川県高松市に移転 電子事業から撤退
2010年 平成22年 04月 宮崎県児湯郡都農町にて口蹄疫発生
2011年 平成23年 04月 営業本部・福岡支店がISO14001認証取得
2012年 平成24年 10月 森久保薬品㈱と共同で(株)NPCを設立
2013年 平成25年 04月 鳥栖物流センター稼動
2013年 平成25年 04月 川上眞吾 社長就任
2014年 平成26年 小田島商事が㈱NPC加入
2014年 平成26年 06月 ㈱オキチク商事と業務提携契約締結
2015年 平成27年 01月 (株)つえエーピーを完全子会社化
2015年 平成27年 03月 (株)オキチク商事の株式取得
2015年 平成27年 04月 東京営業所を開設
2015年 平成27年 05月 ㈱エフズクリエイトを設立
2015年 平成27年 10月 上海賽地国際貿易有限公司(中国)と業務提携
2015年 平成27年 10月 PT.SINGGASANA UNAGI INDONESIA 設立
2016年 平成28年 07月 ㈱アグロジャパンと業務提携
2017年 平成29年 05月 重宝水産㈱を子会社化
2018年 平成30年 03月 ㈱エフズ農園を設立
2018年 平成30年 12月 池亀酒造㈱を子会社化
2019年 令和元年 10月 協和化学㈱が㈱ニチメン工業と合併
2019年 令和元年 12月 松田商事㈱と資本業務提携



歴代経営者

二代 吉村益次
二代 吉村益次
任期:1972年(昭和47年)~1983年(昭和58年)
㈱サン・ダイコー(ヨシムラ産業㈱)
森 永太郎
任期:1993年(昭和58年)~1997年(平成9年)
二代 吉村益次
任期:1997年(平成9年)~1999年(平成11年)
野田 紀
任期:1999年(平成11年)~2003年(平成15年)
樹村幸治
任期:2003年(平成15年)~2006年(平成18年)
庄 信廣
任期:2006年(平成18年)~2013年(平成25年)
川上眞吾
任期:2013年(平成25年)~2022年(令和4年)
衞藤 幸一
任期:2022年(令和4年)~



エピソード録

◆サン・ダイコー史上最大事件の発生 

ヨシムラ産業が発足して2年目、売上20億円、当期利益3000万円の時代に損害額2500万円という取引先の詐欺事件が勃発。深夜まで、対応策の会議を重ねたが回収の見込みはなし。社員を一堂に集め、当時常務だった森が調査結果を報告し、頭を下げた。すると、突然社員の中から「俺が会社を必ず救ってやる!」という声が聞こえてきた。「この瞬間、会社は完全に一つになった」と当時その場所にいた元社員が回想している。危機を機会に、全社員が会社を愛し、守り、盛り立てようと心が一つになった。この団結力こそがやがてサン・ダイコーを生みだす、最大の力だった。 

◆口蹄疫の教訓 

2010年(平成22年)4月20日、宮崎県児湯郡都農町で口蹄疫が発生、畜産業界に甚大な被害をもたらす事件だった。口蹄疫は牛・豚などの偶蹄類に感染する非常に感染力の高い疾病である。九州の牛・豚飼養頭数の27%を占める宮崎県、中でも養豚業が集中する児湯郡で発生したことで、爆発的に感染が拡大した。 

4月27日にはえびの市、6月9日には都城市に感染が飛び火。県境の両市での発生により、宮崎と並ぶ畜産拠点である鹿児島県にも緊張が走った。官民、県内外が一体となった必死の封じ込めにより、8月27日に終息宣言が発表されたが、それまでに殺処分された家畜は約29万頭、関連産業を含む経済的損失は2,000億円を超えるといわれた。 

宮崎の畜産に縁が深いサン・ダイコーは、消毒薬と義援金を宮崎県に寄付。フォレストホールディングスも義援金を寄付した。また、宮崎支店・都城営業所の社員は、ボランティアで車両消毒ポイントに立ち人的支援を行った。口蹄疫の教訓を風化させることのないよう、毎年4月20日をサン・ダイコー「防災の日」と定め、防疫体制の見直し、強化に取り組んでいる。 



著作や参考文献




セレクト画像・映像




リンク


(株)サン・ダイコーのディスカッション

3:
■資料より引用 :資料確認

昭和39年に南九州4県の医薬品卸、吉村薬品、宮崎吉村薬品、ヤナイ薬品、ヨシマツ薬品、4社の協業組織として、ダイヤ会が設立。 そこでは、経営トップ層による経営改革案が論議され、各社の経営が改善された。 昭和44年には、各社経営の本部機能として、株式会社ダイコー(ダイヤコーポレーション)が設立され、吉村益次氏が社長に就任。この年、社長よりこれからの経営方針として「三つの挑戦」が掲げられた。

1.ヘルスインダストリーへの挑戦
2.レベルアップ、スケールアップへの挑戦
3.脱価格競争への挑戦

この方針に基づき、グループ会社間では大きな変革が始まる。 その一つとして、吉村薬品の特殊品事業部を分社独立し、誕生したのが現在のサン・ダイコー(ヨシムラ産業)であり、初代社長は吉村益次氏だった。

大分の吉村薬品、宮崎の宮崎吉村薬品、熊本のヨシマツ薬品、鹿児島のヤナイ薬品は、各社の頭文字のYの文字を合わせてダイコーという医薬品卸の連合を形成。先陣を切って特殊品事業部を分社独立したのは吉村薬品と宮崎吉村薬品だったが、ヤナイ薬品とヨシマツ薬品も特殊品事業の分社を選択し、昭和48年4月にはヤナイ薬品の特殊品部を分社してヤナイ産業を設立。

昭和49年3月21円、ヨシムラ産業は株式会社サン・ダイコーに社名を変更。4月に熊本のヨシマツ薬品特品部を譲り受け、サン・ダイコー熊本事業所を設立。同年10月16日には、鹿児島のヤナイ産業を吸収合併し、サン・ダイコー鹿児島事業所を設立。ダイコー各社の特殊品部門が一つの会社になった。

 吉村薬品、宮崎吉村薬品、ヨシマツ薬品、ヤナイ薬品の頭文字であるYを合わせると、ダイヤの形に。ダイヤと“協業”を意味するコーポレーションを略してダイコーとなった。 このダイコーから食に関わる企業として独立したため、食を育む太陽を意味するSUNと、ダイコーの息子SON、そして産業の「産」にちなんで「サン・ダイコー」と名づけられた。

WEBサイトより引用

 ●社名 株式会社 サン・ダイコー ●所在地 大分市西大道二丁目3番28号 ●創業 1972.4.21(昭和47年) ●設立 1974.3.21(昭和49年) ●資本金 9,000万円 ●役員  代表取締役社長 川上 眞吾  代表取締役専務 岩男 光芳  取締役(執行役員動薬事業本部長) 小野原 脩二  取締役(執行役員フード・ケミカル事業本部長) 長田 英徳  取締役(執行役員管理本部長) 松本 淳一  監 査 役((株)フォレストホールディングス常勤監査役)  川村 常雄 ●売上高 24,528百万円(2013年3月期) ●従業員数 310名(2013年4月期)
Posted By 管理者 at 14-06-10 10:59
2:
更新前文章(FHDサイトより引用) :20140410

■FHDサイトより引用 サン・ダイコーは、「食と健康」をテーマに、動物用医薬品・関連資材、食品関連資材、化学関連薬品など、人々の生活に欠かすことの出来ない商材を幅広く取り扱い、九州を中心に四国や広島において、地域に根ざした営業活動を展開する企業です。 単に商品をお届けするだけでなく、市場動向や消費者ニーズを的確に捉えた生活者の満足につながる付加価値の高いサービスの提供を目指しています。 さらに「食」に関わる企業の社会的責任として、生産から加工、流通に至るステージにおいて、「安心・安全・安定」をキーワードに高い専門性を有した提案を実践し、「食」を通じて健康な地域づくりに貢献します ■資料より引用 (株)サン・ダイコーは大分市西大道。株式会社フォレストホールディングス傘下の医薬品・工業薬品販売会社。動物用医薬品、飼料添加物、混合飼料、畜産用機器、畜産用器材、環境改善資材、水産用医薬品・電子関連薬品、食品添加物・調味料などを扱う。


*大年表より
進取に気風を大切に常に新しい事業に積極的に取り組む。
深耕密着営業「アドバイザー・サンダイコー」
昭和47年設立当初、年商14億円。昭和58年、年商100億円。

1983年(昭和58年)コーヤクより動物薬を譲り受ける。
常識の枠にとらわれないダイナミックなチャレンジ精神。
コーヤク開発部と合体。食品原材料及び工業薬品など営業譲受。
平成4年、年商200億円。
Posted By 管理者 at 14-06-09 15:59
1:
前原稿
昭和47年に吉村薬品の特殊品事業部と宮崎吉村薬品の特殊品事業部から独立したヨシムラ産業株式会社が前身。昭和49年ヨシムラ産業を「株式会社サン・ダイコー」に社名変更。昭和58年コーヤクより動物用医薬品の営業権を譲り受け、全国一の動物薬販売実績を達成。常に新しい事業に積極的に取り組む社風と、深耕密着営業が高く評価された。平成3年コーヤク開発部より食品原材料及び工業薬品等の営業権を譲受。平成8年にFHDに参加した。「アドバイザー・サンダイコー」と呼ばれるダイナミックなチャレンジ精神は、FHDの一員となった今も尚健在である。
Posted By 管理者 at 14-06-09 15:51