(合)大石忠次郎商店三代目社長
【社長在任期間】
1927年(昭和2年)~1959年(昭和34年) (合)大石忠次郎商店 |
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三代目大石忠次郎
1907年(明治40年)4月13日 誕生
1995年(平成7年)1月6日 死去 |
生涯のあらまし
【経歴】
【主な公職】
【お人柄等】
- 1927年(昭和02年)4月 2代目忠次郎が死去し、3代目忠次郎を襲名。同年7月(合)大石忠次郎商店を設立し、代表となる。
- 1928年(昭和03年)熊本薬専(現熊本大学)卒
- 1929年(昭和04年)(合)大石忠次郎商店入店(支配人は浜田宗四郎)
- 戦時中医薬品統制会社の専務を兼務
- 1959年(昭和34年)6月 大石薬品(株)の設立に伴い代表を辞し会長となる。
【主な公職】
- 戦後発足した筑後医薬品卸組合の初代会長
- 久留米市陸上競技協会の副会長・会長を歴任(昭和46年~平成3年)
【お人柄等】
- 人物を評して、「交友は広く、信望は厚く、多くの人に親しまれ慕われた人」(谷口久久留米市長)
- 「中学以来の友人で陸上部仲間。大石忠次郎は槍投げの第一人者であった。温厚で人一倍責任感の強い人柄はお得意先より厚い信頼を受け、社員からは敬愛された。常に全力投球で経営に取り組む姿勢は経営者の模範であった」(久光製薬中冨正義氏)
- 常に口にしていたのは「お得意先の期待に応えられる会社、メーカーの期待に応えられる会社、社員が安心して勤められる会社、特に自分の子弟を入社させたい会社になるように頑張りなさい」であったという。
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