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[経営者たち] 神代スガ 
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(有)神代薬局三代目社長


【社長在任期間】
1942年(昭和17年)~1963年(昭和38年) (有)神代薬局(神代薬局)



神代スガ(くましろすが)神代薬局三代目当主。夫である二代目の神代良孝が43才で病没し、妻スガが三代目の当主となる。男性店員は兵役に招集され、番頭と女性2~3人で切り盛りして戦時中をつないだ。復員した店員には、男主人でないことが不安で去っていくものも多かったが、集金に行った店員の戻りを火鉢に手をあてながら夜中まで待つなど、残った店員たちとスガは家族同様のつながりで助け合い、苦しい時期を乗り切った。

神代スガ
1976年(昭和51年)3月 死去


生涯のあらまし

【経歴・お人柄等】

神代薬局三代目の主、二代目神代良孝氏の妻。
昭和17年4月、夫である二代目の良孝氏が43才の若さで病没し、代わって妻スガ(相談役の母)が三代目として当主となった。男性の店員はすべて兵役に応召し、番頭の岡山次六氏(後の神代薬品専務取締役)と女性2~3人で切り盛りして戦時中をつないだという。
やがて終戦となり、店員が復員してきたが、主だった人は男主人のいない店の将来に対する不安を抱いたのか独立するものが多かった。そのため人手の確保には苦労が多かった。
「年末は12月31日の夜中の12時過ぎまで仕事をしました。資金繰りの苦しみは大変なものでしたので仕事が終わらないのです。31日の手形を1月2日に落とさないと不渡りとなるので。お陰で楽しみにしている「紅白歌合職」もあまり見れませんでした。おかみさん(スガ)はみんなが帰ってくるまで火鉢に手をあてながら店番をしてましたし、私たちは机の下に股火鉢でがんばりました。1月1日だけ休んで2日は初荷。給料の支給が遅れることも時にはありましたが、家族的な会社だから皆で助け合い頑張れた、給料には変えられない何かを感じてました」と当時の従業員、内田さん御夫妻は語った。
スガには4男1女がいたが、長男であった神代辰巳(相談役の長兄)は、「薬屋はしたくない」と良孝に告げ、「それならせんでよか」と後継ぎを断念したという。辰巳は文学をこよなく愛し、映画界に入り映画監督となり、日活で活躍した。そのため次兄神代良次が四代として後を継ぎ、昭和38年株式会社へと変更、社長に就任した。



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