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[経営者たち] 梁井洋之介 
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ヤナイ薬品(株)三代目社長


【社長在任期間】
1985年(昭和60年)~1992年(平成4年) ヤナイ薬品(株)


梁井洋之介
1933年(昭和8年)5月誕生


生涯のあらまし

【経歴】
  • 1957年(昭和32年)5月 (株)梁井一心堂入社
  • 1970年(昭和45年)4月 本部会社(株)ダイコー出向
  • 1972年(昭和47年)4月 (株)梁井一心堂 常務取締役
  • 1980年(昭和55年)4月 (株)サン・メック 常務取締役
  • 1984年(昭和59年)4月 ヤナイ薬品(株) 副社長就任
  • 1985年(昭和60年)4月 ヤナイ薬品(株) 社長就任
  • 1992年(平成4年)4月 (株)ダイコー 副社長就任
  • 1996年(平成8年)4月 (株)ダイコー 副会長就任
  • 1998年(平成10年)4月 (株)アステム 取締役就任
  • 1999年(平成11年)6月 (株)アステム 相談役就任
  • 2004年(平成16年)3月 退任

1933年(昭和8年)、梁井一心堂創業者 梁井益蔵の四男として鹿児島市で生まれる。
東京薬科大学卒業後、梁井一心堂に入社。1969年(昭和44年)、ダイヤ会の4社によって設立した本部会社(シンクタンク)(株)ダイコーに人事交流の魁として出向、事務局としてダイコーグループの交流強化に尽力した。
1980年(昭和55年)(株)サン・メック常務取締役に就任、1984年(昭和59年)副社長としてヤナイ薬品に戻り、翌1985年(昭和60年)社長に就任。1992年(平成4年)の(株)ダイコー発足時には副社長に就任、1996年(平成8年)副会長に就任した。1998年(平成10年)アステム発足と同時に現役を退き、1999年(平成11年)相談役に就任。

父益蔵の遺志を継ぎ、本部会社ダイコーや、サン・メック在籍時に構築したダイコーグループにおける豊富な人脈を活かし、医薬品卸ダイコー及びアステムの設立に貢献した。絵画が趣味で個展を開催、クラシック音楽にも精通し、霧島国際音楽祭の設立に協力、音楽家や画家、陶芸家等との交流も深かったことからアーティスト社長と呼ばれた。現役引退後も、長年にわたるライオンズクラブの活動や出身校、趣味を通じて築いた得意先との良好な関係を活かし、後輩たちを側面から支え続けている。






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