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[各社の歴史] (株)アステム[本部] 
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設立:1996年(平成8年)南北協業における本部会社



歴史の概要

本部会社アステム、アステムフォレストの誕生

「九州は一つ(南北連携)」実現のため、ダイコーとキョーエイ薬品との合意に基づき、1996年、両社は、合併・再編を視野に入れ、共同出資で本部機構 (株)アステムを設立。社長は吉村恭彰ダイコー社長が兼任。恭彰は、新会社には時代に流されない普遍的な理念が必要だと判断し、議論を重ねて「<不>の打開」という新しい経営理念を生み出した。 

共通の“経営土壌”の構築のため、①全体最適で組織・業務体制をスクラップ&ビルド、②業界トップ水準の流通機能の整備・構築、③公正な新人事制度の確立、④全グループ企業参加による総合中期経営計画の策定など、を手がけた。 同時に、1社1社を個性的な木々に見立て、自立と共生を目指し、グループ全体の総称を「アステムフォレスト」とした。


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(株)アステム


詳細

「九州は一つ(南北連携)!」実現のため、(株)アステム(共同本部会社)を設立し事業統合・再編を推進、1998年(平成10年)4月に(株)アステム(医療会社)、(株)アステムヘルスケア(一般用医薬品会社)を誕生させた。


◆良きライバル(二代益次、重喜そして慶元)同志が切磋琢磨

二代益次と重喜は、自立と連帯の精神の下、それぞれの持論(九州南ブロック:統合合併論、九州北ブロック:協同組合化)は異なるものの、常に業界をリードし続け、名実共に九州の南部・北部を代表する医療関連グループ(南のダイコーグループ、北のキョーエイグループ)を形成してきた。


◆南北の共同戦線、共同事業化への助走

南北の共同事業化への助走としては、

(1)1978年(昭和53年)9月、南北初の共同事業として(株)西日本特殊臨床検査センター(略称:日特検)を設立、ラジオ・アイソトープ(R・I)による特殊臨床検査専門の会社であり、大手製薬メーカーによる企業化の例はあっても、卸業による企業化は全国で初めてであった。

(2)1983年(昭和58年)4月、南の(株)サン・ダイコーに、北のコーヤクが特殊品事業の動物用医薬品の営業権を譲渡。

(3)1987年(昭和62年)6月、南北共同での医専部門の学術研修会(AAS研修:Academic advanced school)の開催で、社員レベルでの連帯感が高まっていった。その後も、AAS研修は定期的に毎年1回開催され研修後の懇親会には両グループのトップ層も参加、参加者にとっても非常に意義深い研修会となった。

(4)1991年(平成3年)11月、(株)サン・ダイコーがコーヤク開発部と合体し、食品原材料及び工業薬品等の営業権を譲受。

等々、広範囲な分野で、南北の連携という具体的な産物が着実に積み重ねられていった。その後、経済環境、業界環境は大きく変化、両者が予測した通り、いよいよ南北が統合する「九州は一つ」の時代の実現に向けてのカウントダウンが始まった。


◆協業関係に移行

九州における医薬品卸の協業化・グループ化の先鞭をつけたのは、紛れも無く南のダイコーであり北の共栄協組であった。「これからの時代は、地方の卸同士の局地戦のレベルではなく、九州全体を舞台に巨大な自販力を持つ大型卸同士の激突へと局面が変化する」ことを察した二代益次と慶元は、1995年(平成7年)3月、いよいよ「南北連携」を具体的に推し進めることで合意した。

(1) 1995年(平成7年)3月、 (株)ダイコーとキョーエイ薬品(株)が協業に移行した。

  • 両社は、1996年(平成8年)4月を目処に、共同で新理念に基く本部機構を設立し、これまでの九州南部(ダイコーグループ)・北部(キョーエイグループ)での独自の協業展開を発展させ、一元化された新しい協業に移行することに合意した。
  • 目的は、<1>新しい経営理念の再構築、<2>理想のヘルスケアインダストリーへの挑戦、<3>自らの商圏内において地域医療に密着しつつ存続と成長を維持するための基盤整備、<4>必要な流通機能の検証と適正経済圏のマッチングであった。

(2)1996年(平成8年)4月、新本部機構(株)アステム(福岡市)を共同で設立、子会社を含めた12社を一元化された協業に移行させた。

  • 社長:吉村恭彰、常務(統括本部長)吉村次生が就任
  • アステムの社名に込められたもの

「A」アルファベットの一番目、ACE(最高、最上の存在)

「STEM」木の幹、根幹、基軸、脳幹(グループ幹となる企業をめざしたいという思い) 

「Advanced sySTEMs 」進化した流通システム・仕組みを創る

「アステムの社名には、最高のグループ形成、ネットワーク形成のための根幹、基軸になろうということ、またこれからの荒波を先頭を切っ突っ走ろうという願い、新時代の企業システムを創り出そうという意気込みが込められている」

  • 本部: 専任16名、兼任20名の総勢36名体制。
  • 統括本部の下、両グループの経営企画、営業企画、人事企画、物流企画、システム企画の各機能を担う人材を配置した。初年度はキョーエイ薬品の山王本部(福岡)2階に入居、次年度は再編に向けて組織の拡大もあり手狭となってきたため、姪浜(福岡)のキョーエイ薬品の福岡店4階に事務所を構えた。
  • 新本部会社に課せられた課題は、(1)全体最適で組織・業務体制を科学的にスクラップ&ビルド、(2)業界トップ水準の流通機能を整備・構築、(3)今日の経済・経営環境に適合した公正な新人事制度を確立、(4)関連企業全体の参加による総合中期経営計画の策定であった。
  • 単純に近い将来の合併を志向するのではなく、分社、同業・異業種との協業などの模索と合わせて、新経営理念の趣旨に沿う最適組織の構築をめざすこととした。
  • 関連企業群による新たなグループの総称を、「アステムフォレスト」と称した、その理由は従来の「グループ」の表現を「フォレスト」として新たに表現し直したことにある。
「フォレスト」とは森、参加個々の企業や社員を一本一本の「個性的な木々」にたとえ、それぞれの木々が自立しグループとして共生して成長する様を、森に例えるという意味と願いが込められていた。
  • 北の企業群:「キョーエイ薬品」「キョーエイ・システム」「コマック」「和光堂産業」「ユニファ」の5社。 南の企業群:「ダイコー」「ダイコー沖縄」「サン・ダイコー」「サン・メック」「創健」「リンテック」「ダイコーサービス」の7社。
  • 両グループの年商は2700億円、従業員数3400人、当時ではスズケン、クラヤ、福神に次ぐ業界全国第4位にあった。
  • 再編プロジェクト「compass」を発足、compassとは羅針盤を意味し、分野(医薬営業、ヘルスケア営業、物流、システム、人事、経営管理、経営企画)毎に分科会を設け関係各社よりメンバーが集結、将来に向っての方向付けに関して活発な議論をぶっつけあった。


◆経営理念の刷新

「アステムフォレスト」のグループ全体が共有する、新たな経営理念策定の取り組みが行われ「不の打開」の経営理念が策定された。

    「われわれは

      自らの人格、志気、能力を育み

     たゆまぬ創造と革新のもと事業を進化させ、

     人々の健康に関わる<不>の打開と

     健全社会への貢献に真の喜びを求める」

目指すのは「<不>の打開」、健康に関わる様々な<不(不安、不快、不足、不便、不満等>を取り除くという社会貢献を通じての企業活動を遂行していく。

新たな理念をグループ各社が共有し、理念に則った事業活動を推進し、グループ力の最大限の発揮を目指したものだった。


◆第一次中期経営計画の策定

新本部会社の重要な役割の一つに、グループの将来のあり方、事業毎の目指すべき姿等を定め、その実現のために必要な枠組みや仕組み、諸制度を創っていくための「企業の羅針盤」となる中期経営計画の策定があった。

本部関係者で議論を重ね、本部会社設立2年目を初年度とする5ケ年中計「メタモルフォーゼ(Metamorphoses21)」が策定され、グループに周知された。

 「メタモルフォーゼ」とは生物学でいう変態・変身であり、動物の正常な生育過程において形態を変えることを意味している。両グループが新たな経営理念の下に集結し、将来に向けての企業のあり方・事業のあり方・仕組みのあり方等を一から検討し、理想のグループを形作っていこうという趣旨にまさにふさわしいネーミングであった。


◆将来の本社建築のため東比恵に用地を購入

将来の両グループの本社建設候補地として、東比恵に用地(約1200坪)を購入した。その後、貸駐車場として賃貸していたが、地元業者によるオフィスビル建設構想に合意し、用地を賃貸し入居することとなった。2009年(平成21年)にビルは完成、これが現在の福岡本社(東比恵ビジネスセンター)となり、2009年(平成21年)4月にフォレストホールディングスならびにアステムの本社機能が入居した。


◆事業の再編・統合 1998年(平成10年)4月

アステムフォレスト内の事業を再編・統合に際し、最も重要視したのは、「企業サイドからの発想」ではなく「お得意先視点での発想」に立った事業再編であった。「南北の業務提携から2年、環境のめまぐるしい変化の中、数限りない議論、検討の末、企業としての使命である理念の実現のため、最善と考えられる対応として今回の再編、合併を決意した。」(新フォレスト発足に際しての吉村恭彰社長のコメントより)。

(1)医療用医薬品事業と医療機器・診断支援・医療IT事業を統合させ、医療分野におけるワンストップショッピングの実現を目指した(株)アステムは、(株)ダイコー、キョーエイ薬品(株)、(株)サン・メック、コマック(株)の4社の合併で実現した。この医療用医薬品と機器の事業統合については、分離独立論を含め最終段階までその是非に関し多くの議論を重ねた結果の産物であり、当時の業界でも稀有な医療会社の誕生となった。

代表取締役会長に大石忠雄、代表取締役社長に吉村恭彰が就任、本社機能を新たに賃借した南近代ビル(福岡市博多区)に置いた。また、一般用医薬品事業を主に展開する(株)アステムヘルスケアは、(株)創健、キョーエイ薬品(株)ヘルスケア事業部、吉村薬品(株)薬専事業部との合併で実現した。代表取締役社長には山脇栄二郎が就任、本社機能を下曽根(小倉南区)に置いた。

(2)南北の再編・統合を成就させた南の二代益次と北の慶元は、統合を機に最高顧問に就任、大所高所から新たな経営陣を見守り、新体制のスムーズな船出を見守る役割を担うこととなった。

(3)新会社発足に際し最も苦慮したのが組織づくりであった。再編2社の現役役員だけでも40数名、南北のバランス人事に拘ることなく、能力に応じ適材適所の人事を行うため、吉村恭彰はまず「役員の格付けをワンランク下げる(いわゆるデノミ)」ことから取り組んだ。

(4)この結果、アステムフォレストの事業会社としては、アステム:医療用医薬品・医療機器・診断支援、アステムヘルスケア:薬粧、サン・ダイコー:動物薬・食品・ケミカル・工業薬品関連、リンテック:受託臨床検査、ユニファ:人工透析、ダイコー沖縄:医療用医薬品、の6社となった。

(5)基幹会社アステムは事業持ち株会社(医療用医薬品・医療機器等の卸販売という事業を行いながら子会社の株式も保有し、親会社の役割も果たす)となり、自社の事業はもちろんのこと、アステムフォレスト全体の事業を軌道に乗せる重責を担うこととなった。この体制は、2008年(平成20年)10月の純粋持ち株会社(株)フォレストホールディングスの設立まで継続することとなった。


◆業界再編は加速、全国卸の誕生、そして「葦の会」設立へ

1998年(平成10年)4月のアステムフォレスト再編は、時代の変化を先取りしたものであり、フォレストに引き続き、九州においても医療用医薬品卸再編が相次ぐこととなった。

(1)九州における業界再編

  • 1999年(平成11年)10月、福岡に本社を置く武田系列の九宏薬品とユニックの合併による「アトル」の誕生
  • 2000年(平成12年)10月、三共系列の九薬(福岡市)と平田天命堂(大分)、伊藤薬品(長崎)の合併による「翔薬」の誕生
  • 共栄協組の一員であったヤクシン(福岡)は東邦薬品との2001年(平成13年)8月の業務提携を経て鶴原吉井(熊本)と合併、2007年(平成19年)4月に商号を「九州東邦」と改めた。

これらにより、九州は、メディパルグループの「アトル、スズケングループの「翔薬」、東邦グループの「九州東邦」と、全国卸による系列化が一気に進み、これにアステム、富田薬品、長崎の地域卸等を加えた構図となった。

(2)全国レベルでは、1998年(平成10年)10月に、三共系列の日本商事(大阪)と昭和薬品(名古屋)の合併による「アズウエル」の誕生、2000年(平成12年)4月、武田系列の三星堂(神戸)とクラヤ薬品(東京)および東京医薬品(東京)の合併による「クラヤ三星堂」の誕生が引き金となり、全国展開を目指して合併・統合等の事業再編は一気に加速し、医療用医薬品業界は「メディパルHD」「アルフレッサHD」「スズケン」「東邦HD」の4大グループによる系列化・寡占化が一気に進むこととなった。

(3)このような環境下、あくまでも地域に拘り、地域に根ざした営業活動を基本スタンスとする全国の地域の有力ブロック卸が一致団結、「ほくやく(札幌)」「バイタルネット(仙台)」「鍋林(松本)」「東邦薬品(東京)」「中北薬品(名古屋)」「ケーエスケー(大阪)」「アステム(大分)」「岩渕薬品(四街道)」「セイエル(広島)」の9社は、全国卸とは一線を画した共同戦略を展開するため、2005年(平成17年)11月、共同運営会社「(株)葦の会」を設立した。

 




沿革

1996年 平成8年 新本部機構(株)アステム(福岡市)を南北共同で設立
1997年 平成9年 5ケ年中計メタモルフォーゼを策定
1997年 平成9年 本社建設候補地として、東比恵に用地を購入
1998年 平成10年 キョーエイ薬品、ダイコー、コマック、サン・メックが合併し医療卸㈱アステムを設立



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