設立:1992年(平成4年)西日本特殊臨床検査センター(日特検)が前身
歴史の概略日特検とコマックの検査部門、ダイコーの臨床検査部門の合併で誕生。1978年(昭和53年)ダイコーと共栄協組との共同出資により設立されたRI検査を行う西日本特殊臨床検査センター(日特検)がその前身。1992年に日特検とコマックの検査部門、ダイコーの臨床検査部門が合併し、(株)リンテックが設立された。2011年、(株)ビー・エム・エルと(株)フォレストホールディングスとの共同出資で、純粋持株会社 (株)九州オープンラボラトリーズを設立。リンテックは同社の完全子会社となった。 リンテック本社屋 |
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詳細
◆「大分臨床検査センター」発足の背景
「大分臨床検査センター」の発足の経緯には医療の進化に沿って求められる「臨床検査」の重要性が深く関わっている。患者の治療に必要な諸検査の中で最も重要な役割を占めるのが、臨床検査であり、臨床検査は多項目で、かつ広範囲にわたっており、近代医学の進化に添って、その項目と領域はますます拡大し続け、それに伴い検査技術も高度化してきた背景がある。
しかし、発足当時、大分をはじめとした地域の一般個人病院や診療所では、検査設備の必要性は痛感しながらも、導入に踏み切れない状況があった。検査頻度は高いものの、検査に必要な専門技術員の確保や、機械器具薬品等を中心とした諸設備のコストが高額のため、病院経営の圧迫を危惧することが原因だった。これらの問題を解消し、臨床検査技術を通じて、地域社会の保健衛生に貢献することが、当時の薬業界に求められていた
◆「小倉薬品臨床検査部門」の誕生と「西日本特殊臨床検査センター」の設立
1978年(昭和53年)頃には、ラジオアイソトープを使った特殊検査(RI検査)が登場。そのRI検査が確立すると高精度な技術が医療界の注目を集め、将来有望な市場としてとらえられるようになっていった。
◆ダイコーと共栄協組の初の共同事業「日特検」設立
「西日本特殊臨床検査センター(日特検)」は1978年(昭和53年)9月に設立。社長には二代吉村益次が就任した。“明日の医療に貢献する”という大テーマを掲げ、ラジオ・アイソトープなどによる検体測定を専門技術として、各種関係医療機関の指導・協力を得ながら、高度化した診療技術のニーズに応えていくことを目指していた。
その当時、ラジオ・アイソトープなどによる高度な特殊臨床検査技術は、新しい医療分野として大きな可能性を秘めていたが、RI検査業務はすでに数年前から大手製薬メーカーなどにより業務化されていた。しかし、医薬品卸業からの進出は全国的にも類のないことであり、九州でも本格的な設備を有する特殊センターは「日特検」が初めてだった。
大分臨床検査センターの開設から4年後の1967年(昭和42年)4月、北九州でも(株)小倉薬品に臨床検査部門が誕生した。化学・血液学など一般検査が中心であった。
◆成長と変化の中で
「日特検」の設立で、その当時まだ対応が難しかった各種ホルモン、ウイルス、生体超微量物質や体内の薬剤の変動、免疫血清学検査、薬物検査、微量金属代謝検査など340項目の精密測定・分析が可能になり、診断・治療の資料提供に大きく貢献した。両グループの強力な営業支援と各医師会検査センターとの協調と連携により、その後順調に業績は推移していった。
南九州の協業グループ「ダイコー」と、北部九州の協業グループ「共栄協組」の初めての共同事業であった「日特検」の業務エリアは、広島県から沖縄県にいたる西日本10県にまたがった。両グループの総勢千名を超える医専営業員が組織的に病医院からの検体収集にあたるなど、グループのメリットが最大に発揮された事業として成長していった。
◆「(株)リンテック」の誕生
時代が昭和から平成に変わるころ、検査点数の引き下げやマルメというマイナス要因に加え、相次ぐ大手による寡占化と各地医師会の検査事業化など、業界環境が大きく変化していった。年を追うごとに厳しさが増す中で、1991年(平成3年)、不退転の決意で検査事業のイノベーションを目指した「日特検」「吉村薬品」「コマック」「ダイコー」4社によるプロジェクト『にちりんプロジェクト』が結成された。
その後、特殊検査の「日特検」を中核として、一般検査の「ダイコー」「コマック」の三部門が合体した九州唯一のフルライン総合臨床検査センターである「(株)リンテック」が1992年(平成4年)に誕生した。「リン=臨床検査・テック=テクニカル」からのネーミングを社名とした。社長には二代吉村益次が就任した。
◆純粋持株会社「(株)QOL」設立へ
2011年(平成23年)、九州に拠点を置く臨床検査企業4社「リンテック」「協同医学研究所」「微研」「ラボテック」を統括する純粋持株会社「(株)九州オープンラボラトリーズ(QOL)」が、業界大手(株)ビー・エム・エルと(株)フォレストホールディングスの共同出資により設立。
2012年(平成24年)4月には、リンテックと協同医学研究所の検査部門を統合し、グループ内の検査を全てカバーする九州最大規模の検査センター、QOLセントラルラボラトリーズ(QCL)を設立。これを機に九州内において一連の検査が可能となることにより、広範囲できめ細かな検査項目への対応、検査結果のスピーディな提供、様々なネットワーク型サービス機能によるサポートの提供など、先進性と地域性を併せ持つ総合的な検査センターとして、現在に至っている。
2012年(平成24年)4月には、リンテックと協同医学研究所の検査部門を統合し、グループ内の検査を全てカバーする九州最大規模の検査センター、QOLセントラルラボラトリーズ(QCL)を設立。これを機に九州内において一連の検査が可能となることにより、広範囲できめ細かな検査項目への対応、検査結果のスピーディな提供、様々なネットワーク型サービス機能によるサポートの提供など、先進性と地域性を併せ持つ総合的な検査センターとして、現在に至っている。
創業当時のミッション「地域社会大衆の保健衛生に貢献する」は今現在も受け継がれ、確実に進化し続けている。
沿革
・ | 1963年 | 昭和38年 | 06月 吉村薬品、大分臨床検査センター開設 |
・ | 1964年 | 昭和39年 | 02月 吉村薬品、佐伯検査センター開設 |
・ | 1967年 | 昭和42年 | 04月 小倉薬品、臨床検査部門開設 |
・ | 1970年 | 昭和45年 | 02月 吉村薬品、宇佐検査センター開設 |
・ | 1974年 | 昭和49年 | 02月 吉村薬品、日田検査センター開設 |
・ | 1978年 | 昭和53年 | 09月 コーエー小倉薬品と共同持株会社ダイコーの共同出資により、福岡市西月隈に(株)西日本特殊臨床検査センター設立 |
・ | 1979年 | 昭和54年 | 02月 (株)西日本特殊臨床検査センター業務開始 資本金3,000万、人員15人 |
・ | 1981年 | 昭和56年 | 04月 吉村薬品、宇佐検査センターを宇佐郡市医師会へ移管譲渡 |
・ | 1981年 | 昭和56年 | 08月 コーヤクがメディカル部門をコーヤクアビリティーズ(株)へ営業譲渡、コーヤク・メディカル・アビリティーズ(株)へ商号変更。コーヤク本社に臨床検査センターを開設 |
・ | 1985年 | 昭和60年 | 04月 コーヤクの山陽事業部の特殊臨床部門を分離、山口にセンター開設 |
・ | 1990年 | 平成2年 | 10月 山口中央検査センターとして独立 |
・ | 1992年 | 平成4年 | 05月 吉村薬品検査センター、西日本特殊臨床検査センター、コマック臨床検査センターが合併、リンテック設立 |
・ | 1993年 | 平成5年 | 04月 福岡本社・中央検査センター完成 |
・ | 1994年 | 平成6年 | 04月 キョーエイ薬品設立に伴い、山口中央検査センターがリンテックに合併 |
・ | 1998年 | 平成10年 | 04月 竹田医師会検査室を移管 |
・ | 2006年 | 平成18年 | 05月 三愛メディカルセンター運営受託 |
・ | 2011年 | 平成23年 | 04月 津久見市医師会検査センター運営受託 |
・ | 2011年 | 平成23年 | 04月 フォレストホールディングス、(株)ビー・エム・エル(東京都)との共同出資により 持株会社 (株)QOLを設立。QOLの子会社となる。 |
・ | 2012年 | 平成24年 | 05月 中央検査センターをQOLセントラルラボラトリーズ(QCL)に移転統合 |
・ | 2016年 | 平成28年 | 07月 北九州支店の検査部門をQOLセントラルラボラトリーズ(QCL)北九州ラボに移転統合 |
歴代経営者
二代 吉村益次
任期:1978年 (昭和53年) ~ 1997年 (平成9年)
(株)西日本特殊臨床検査センター
(株)リンテック |
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吉村恭彰
任期:1997年 (平成9年)~2006年(平成18年)
(株)リンテック
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吉松淳次
任期:2006年(平成18年)~2018(平成30年)
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瀧川秀則
任期:2018年(平成30年)~
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エピソード録
◆二代 吉村益次の構想が実現に向けて動き出す
昭和30年代半ば、後に大分臨床検査センター初代センター長となる西川泰夫氏は、二代 吉村益次にある指示を受ける。「これからの医薬品卸は、ただ薬を売っていればよいと云う時代ではない、もっと医療に結び付きディーラーヘルプの立場から医療機関のサポートをすべきだ。その意味で日本医師会が推進している臨床検査センターを大分につくりたい。その為に準備をしなさい。」西川はすぐさま東京調布市、富士吉田市、下関市に見学に行き、当時の国立別府病院薬剤科長清水先生、児玉治兵衛先生、国立大分病院検査室後藤先生にアドバイスを受けながら、金井正光先生著作の「臨床検査法概要」を片手に知識を深め、センター発足の準備を進めた。
そして1963年(昭和38年)、医療機関共通の検査ニーズに応えるため、大分医師会の賛同を得て、吉村薬品の中に大分医師会の公認センターとなる「大分臨床検査センター」が発足し、検査業務がスタートした。
センターは大分市医師会、九州大学医学部細菌学教室の指導と援助を基盤にしながら、経営を吉村薬品(株)が行った。運営については医療本来の公共的使命に立脚し、関係医療機関の期待とニーズに沿うことを基本方針とした。
当時は毒劇物や細菌などを扱う医療に関連する施設であるため、義務として保険所に届けにいくと、担当の職員から「その様な届けの様式はない。その様な法律にない施設をつくると困る。」と云われ、届け出なしで業務を行なっていたという、今では考えられないエピソードも残されている。
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