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[各社の歴史] 大石薬品(株) 
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創業:大石薬舖 1879年(明治12年)久留米市



歴史の概要 

創業者は初代 大石忠次郎。 大石薬舗は久留米創業の「大石薬品」の源流。

初代大石忠次郎が1879年(明治12年)、久留米市にて大石薬舖を創業。数ある源流の中で最も創業の古い企業。江藤新平の乱(佐賀の乱)で薬を売り歩き開店資金をためたという逸話が残されており、後に吉村薬局(後の吉村薬品)を創業する初代 吉村益次が入店し活躍した。

戦争中に被災し、再建したが、昭和30年代に経営危機に見まわれ、小倉薬品(株)吉村薬品(株)からの支援で再スタートし、近代的な企業へと進化していった。1959年(昭和34年)に法人化、大石薬品(株)に改組し、小倉薬品他3社と共同で北九州医薬品卸協同組合を設立・加盟した。1966年(昭和41年)、大石忠雄が社長に就任、1994年(平成6年)にコーヤク(株)シンコー薬品(株)の2社と合併し、キョーエイ薬品(株)となった。

(合)大石忠次郎商店 (昭和9年当時)
https://forestpedia.jp/data/file/photo/2578484036_c086ba69_OI_PH_E5A4A7E79FB3E896ACE88897E589B5E6A5ADE58699E79C9F.png














大石薬品社旗


詳細


久留米大石薬舗創業

フォレストホールディングスの数多ある源流企業のなかで最も創業の古い企業。1879年(明治12年)初代大石忠次郎が久留米市にて独立し薬舗を開設。大石薬舗と称する。
大変残念なことに、戦時中の空襲による焼失と1953年(昭和28年)の西日本大水害により創業から1953年(昭和28年)までの社歴を記す資料は全て失われてしまった。当時を知る術は三代目大石忠次郎の口伝を記述したもののみ残る。

◆初代大石忠次郎

初代大石忠次郎は、1874年(明治7年)の佐賀の乱のなか、反政府方の江藤新平陣に売薬、器具を売り世間を驚かせるとともにその際稼いだ資金をもとに独立したと言われている。性格は豪放にして磊落、奇行に富み酒豪と評された。大変な相撲好きで、大相撲見物の時には腰に酒の入った瓢箪を下げ、まわりの見物客にふるまい、ある時は自ら裸になって土俵に上がり、当時の自家商品『世界旅行丸』を見物人にばら撒き、おおいに宣伝したという逸話が残っている。
すこぶる機智に富み軽妙洒脱、奇想天外の口上をして有名になり、当時東京銀座で奇抜な宣伝をして煙草販売に大成功した岩谷松平と東西の好一対とまで言われたとある。創業者とは”かくあらん”という典型的な人並みはずれた発想と行動力、情熱と胆力を併せもった人物であったようだ。

◆二代目大石忠次郎

初代が1911年(明治44年)に59歳で死去すると娘婿の大石末太郎が二代目大石忠次郎を襲名した。二代目の性格は重厚で素朴堅実であり、武田長兵衛商店はじめ大阪方面の製薬商店との取引を密にし卸業の形態を強化させつつ年とともに社業隆盛となり、九州の大阪と呼ばれた久留米に大石ありと全国の薬業界に鳴り響くまでになった。
1913年(大正2年)には吉村薬局の創業者である初代吉村益次が入店し、1919年(大正8年)に独立するまで浜田宗四郎とともに中心となって活躍し、特に福岡県の醸造元への醸造薬品の販売には多大な貢献をした。

◆三代目大石忠次郎が合名会社大石忠次郎商店を設立

二代目が1927年(昭和2年)に54歳で死去すると息子の弘二が三代目大石忠次郎を襲名し、資本金19万円で合名会社大石忠次郎商店を設立した。商売は順調で1934年(昭和9年)には久留米市今町に新社屋を落成。中央通りを挟んで3階建ての卸部と小売部を設け、当時としては大型の店舗であった。また、福岡市箱屋町に福岡出張所を設け、さらに1940年(昭和15年)には(合)吉村益次商店と共同で小倉市米町に合名会社小倉薬局を設立し、営業圏の拡大も図っている。筑後地区においては卸問屋としての規模、資産内容はいずれも群を抜いており優良企業の一社であった。

◆戦災と苦難の時代

1945年(昭和20年)、空襲により社屋が全焼、すべて灰燼と帰す。
戦後1946年(昭和21年)、久留米市今町で営業を再開し、その後通町9丁目に移転したが戦前の社屋とは大きく異なり薄暗い木造の借家であった。品不足の時代であり品物があれば売れるといった荒れた商売が続いた1951年(昭和26年)、福岡出張所跡に設立していた(株)大石敢商店(おおいしすすむしょうてん)が破綻し、保証債務の多額弁済が発生した。悪いことは重なるもので、1953年(昭和28年)には西日本大水害で大被害を受け、さらに追い討ちをかけるように翌年(昭和29年)には国税庁の調査により131,800円の追徴税徴収を受けた。
昭和30年代に入るとインフレによる物価高騰や朝鮮戦争特需の反動による不況、折からの医薬品の乱売合戦により運転資金の不足を来たし、倒産の危機に瀕することになる。

◆再興

この危機を乗り切るために小倉薬品(株)と吉村薬品(株)が支援し、1959年(昭和34年)資本金500万円で大石薬品(株)を設立した。(資本構成:大石忠次郎商店200万円、メーカー7社200万円、小倉薬品50万円、吉村薬品50万円)
直前の社員数は38名、そのうち新入社員が10名という状況であった。
経営・業務強化のため小倉薬品(株)、吉村薬品(株)より人的支援も行われ、三代目大石忠次郎会長、吉村重喜社長、阿部春鳥常務、甲斐周一総務部長という布陣で立て直しをスタートさせた。

営業管掌の阿部春鳥はことのほか利益確保を厳しく追求し、緊張感みなぎる指導で社員の意識は一変、その後の発展の礎を築いた。「大変厳しい人であったが愛情をもって教えてくれる人であった」とは当時の社員の弁。
機を同じくして1959年(昭和34年)小倉薬品(株)、大石薬品(株)、松井薬品(株)、高瀬薬品(株)、佐藤薬品(株)の5社で「北九州医薬品卸協同組合」を発足させている。大石薬品社長吉村重喜の後任社長となる大石忠雄が福神(株)より呼び戻され、同組合の理事長秘書、後に事務責任者に就任した。

当時の薬業界は、量産時代を迎えて量販体制に変えなければ脱落するという危機感と、卸業の存在意義のためにも経営規模の拡大が必要という論調があり、企業理念が同じ者同志が結束して薬業界を革新する、そのためには経営を近代化していく必要があるという企図であった。

1961年(昭和36年)7月1日に「OYKコミュニケ」を発刊。阿部春鳥発案のもと吉村重喜社長が命名した。以来4000号以上を発刊し、社員のコミュニケーション促進には労使相まって力を注ぎ続けた。

◆大石忠雄が五代目社長に就任

1966年(昭和41年)大石忠雄が社長に就任、「怒ったところを見たことがない」、「きれい好きで几帳面」、「男女の別なくしつけと教育熱心」という人間性がその後の大石薬品(株)の社風を作った。
大石薬品(株)時代の社風を当時の社員は次のように表している。
「お得意先に喜んでいただくためには労を惜しまず、創意と工夫に満ちた手造りの催し物をよくやった。お得意先は徹底的に大切にし、社内は和気藹々。仕事は厳しかったけど楽しかった。」
信用第一、感謝の気持ちと謙虚な姿勢を常に忘れず得意先を大事にして、業績は着実に伸びて行った。
1994年(平成6年)大石薬品(株)、コーヤク(株)、シンコー薬品(株)の3社が合併しキョーエイ薬品(株)を設立。大石忠雄がキョーエイ薬品の社長に就任した。




沿革

1879年 明治12年 07月 大石薬舗創業
1911年 明治44年 初代大石忠次郎死去(59歳)、大石末太郎二代目忠次郎襲名
1913年 大正2年 初代吉村益次入店
1927年 昭和2年 二代目忠次郎死去(54歳)、三代目忠次郎襲名 (合)大石忠次郎商店に改組
1929年 昭和4年 三代目忠次郎入社、支配人浜田宗四郎
1934年 昭和9年 久留米市今町に新社屋落成、3階建卸部と別棟小売部
1934年 昭和9年 福岡市箱屋町に福岡出張所開設
1940年 昭和15年 初代吉村益次、浜田宗四郎と小倉薬局を設立
1946年 昭和21年 久留米市通町で営業再開
1947年 昭和22年 福岡出張所を再建、㈱大石敢商店設立
1951年 昭和26年 ㈱大石敢商店閉鎖
1959年 昭和34年 06月 大石薬品㈱を設立、吉村重喜社長就任
1960年 昭和35年 会員相互扶助を目的とした「ありの会」発足。
1964年 昭和39年 05月 新社屋落成(久留米市諏訪野町4-1)
1965年 昭和40年 12月 筑後薬品株式会社と合併
1965年 昭和40年 01月 大牟田連絡所開設
1966年 昭和41年 大石忠雄社長就任
1967年 昭和42年 08月 矢野薬局卸部と合併
1968年 昭和43年 設立10周年 記念誌「あゆみ」1号発行・記念行事~日本歌劇団公演(文化ホール)
1969年 昭和44年 05月 本社新社屋落成
1973年 昭和48年 01月 南福岡営業所開設
1978年 昭和53年 08月 柳川連絡所開設
1981年 昭和56年 09月 佐賀営業所開設
1982年 昭和57年 04月 コンピュータ(NECモデル85BM)導入、オンライン開始
1987年 昭和62年 共栄医薬品卸協同組合加盟会社 決算日を統一
1988年 昭和63年 02月 西福岡連絡所開設
1989年 平成元年 設立30周年記念祝賀会開催
1989年 平成元年 02月 記念事業として久留米市に300万円寄贈
1994年 平成5年 大石薬品、コーヤク、シンコーが合併しキョーエイ薬品㈱を設立



歴代経営者

初代 大石忠次郎
初代 大石忠次郎
任期: 1879年(明治12年)~1911年(明治44年)
大石薬鋪初代当主
二代目 大石忠次郎
二代目 大石忠次郎
任期:1911年(明治44年)~1927年(昭和2年)
大石薬鋪 二代目当主
三代目 大石忠次郎
三代目 大石忠次郎
任期:1927年(昭和2年)~1959年(昭和34年)
吉村重喜
吉村重喜
任期:1959年(昭和34年)~1966年(昭和41年)
1959年(昭和34年)06月 大石薬品㈱設立後、社長就任
大石忠雄
任期:1966年(昭和41年)~1994年(平成6年)



著作や参考文献




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